まず、「バカラック」というのはアメリカン・ポップスの代表的作曲家(で編曲家、ピアニスト、シンガーでもある)バート・バカラックのこと。もしバカラックの名を知らなくても、バカラックの曲はどこかで絶対に、絶対に耳にしているはず。とにかく膨大なヒット曲を書いているにもかかわらず、どれもとても魅力的な曲ばかり。特に作詞家ハル・デイヴィッドとのコンビでは60〜70年代のポップスを代表する作品をたくさん残している。そんなわけで、ジャンルを問わず「バカラック曲集」の類いは山のように出ているが、このスティーヴ・タイレルの「バカラック曲集」はひと味違う魅力がある。
収録曲は「ウォーク・オン・バイ」「ルック・オブ・ラヴ」「クロース・トゥ・ユー」「アルフィー」「雨にぬれても」「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」など、バカラック&デイヴィッドの有名曲がずらり14曲(日本盤はバカラック作曲ボーナス2曲追加)という直球選曲。アレンジはとりわけ新機軸を出しているようなところはなく、ジャジーな味付けがされたポップス、あるいはその逆とも言える、よく練られていて聴きやすいもの。聴き手を選ばない、いわばヴォーカル・アルバムのど真ん中を行く作りだから、勝負どころはまず「声」ということになる。力強く、ちょっとしわがれたオヤジ声。堂々としているんだけど押し付けがましくない。ジャジーだけど、フェイクはほとんどなくて、いいんだな、この「ほどほど」感。アルバムのテーマである、バカラック・メロディを大切にしているのがよくわかる。
でも、単なる「バカラック曲集」では終らせない仕掛けが随所に施してある。まず、なんとバート・バカラック(今年80歳)本人が4曲に参加している。ピアノを弾いているだけでなく、なんとアレンジまでしているではないか。ということは、これはいわゆる「カヴァー」じゃないわけで、先ほどの、新機軸はないという表現は、「王道の」と言い換えさせていただきます。_○_
また、何曲かでゲスト・ヴォーカルが入るのだが、ジェームス・テイラー、パティ・オースティン、ロッド・スチュワート、そして数々のバカラック名曲をヒットさせてきたディオンヌ・ワーウィックまでいるという、どう考えても主役よりはるかに有名な顔ぶれだ。さらに「ディス・ガイ」は、68年にオリジナルを大ヒットさせたハーブ・アルパート(トランペット)と、バカラックが共に参加という超豪華セッションである。どうしてこんなアルバムが作れ、しかも(歌手デビュー10年に満たない)タイレルが主役を張れるのか?
タイレルの経歴を見てみよう。レコード・デビューは99年、50歳の時。今は60歳ちょい前というところ。でも苦節30年の後に…ではない。デビューまで何をしていたかというと、まずはポップス系のレコード・プロデューサーだった(というか現在も)。テキサス州ヒューストンに生まれたタイレルは18歳の時にニューヨークへ出てセプターレコードに入社。そこではディオンヌ・ワーウィック、B.J.トーマスらを手がけ、60年代から70年代にかけて多くのヒット曲を世に送り出している。どちらもバカラックの曲を多く取り上げていたから、タイレルとバカラックはこの頃から親しい間柄だったに違いない。また、作曲家としても活動し、エルヴィス・プレスリーやレイ・チャールズに曲を提供している。
そして70年代の終りごろにロサンゼルスに居を移し、映画の世界にも関わるようになる。91年に『花嫁のパパ』(監督:チャールズ・シャイアー)の音楽プロデュースすることになり、タイレルは古いジャズ・スタンダードである「今宵の君は」を使おうとを考えた。そこでスタッフの反応を見るため、自分で「仮歌」を入れたデモを作ってみたところ、監督が大いに気に入り、結局それが採用。さらにタイレルはシンガー役として映画にも出演、好評を博すことになる。これが発端となって、シンガーとしての活動も始めるようになり、99年に『A New Standard』(Atlantic)でシンガーとしてデビューとなった。
そして、このアルバムを聴いたロッド・スチュワートが、自分も同じようなアルバムを作りたいとタイレルに連絡。両者が協力して作ったのが、大ヒットとなった『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』シリーズである。04年の『Vol.3』ではタイレルがプロデューサーとなり、それがシリーズ最高の売上となった。今回の豪華ゲストはタイレルがこれまで裏方として関わってきた人脈が、タイレルのソロ・アーティストとしての活動を応援するためにこぞって参加した、というところか。
今回のアルバムは7枚目になるが、正直言ってタイレルの日本での知名度は低い。でもシンガー以外では、このような実績のある人だったのだ。こんなことを知ると音楽が違って聴こえてくる? 少なくとも聴く気にさせる大きな材料にはなる。だが、そういう先入観を与えたくないのか、バカラックらゲストの名前はジャケット裏側の曲名の下にそっと「featuring Burt Bacharach」などと入っているだけだ。それらを「売り」にしないのは歌手としての自信の表れと、また、プロデューサーとして「開けてびっくり聴いてびっくり」盤にしたかったのだろう(でもバラしてすいません)。
なお、原題のサブ・タイトルは「The Songs of Burt Bacharach and Hal David」。バカラックだけでなくて「&デイヴィッド」なのだ。というわけで歌詞はとても重要。国内盤には全曲の原歌詞と対訳が載っているので、ぜひチェックしてほしい。
曲よし、雰囲気よし、ゲストよし。もちろん歌もすばらしい。何度聴いてもまた聴きたくなる、いい感じだな。