日本盤タイトルは、テーマを表した『トリビュート・トゥ・マイルス・デイヴィス』。原題は直接的に内容を表している『TUTU Revisited』。『TUTU』は、1986年に録音・発表されたマイルス・デイヴィスのアルバムのこと。つまり、これは「『TUTU』を顧みて、マイルス・デイヴィスに捧げる」というアルバム。
「ジャズの帝王」マイルス・デイヴィスは91年に死去したので、この『トリビュート・トゥ・マイルス・デイヴィス』のリリースは、没後20周年・『TUTU』発表25周年のタイミング。なぜマーカス・ミラーがマイルスにトリビュートなのかというと、(古いジャズ・ファンには説明不要でしょうが)マイルスとマーカスは非常に深い関係にあったんですね。マイルスは50年代後半あたりから、ず~っとジャズ界の最先端でシーンを引っ張り続けていたんですが、76年に活動を停止します。そして80年に、若いサイドメンを率いてレコーディングとライヴ活動を再開。その時のベーシストがマーカス・ミラーだったのです。当時すでにさまざまなセッションで活躍していたマーカスですが、マイルスとの共演はマーカスの存在感を一気に大きなものにしたことは言うまでもありません。マーカスはマイルスのバンドを数年で離れるものの、マイルスはマーカスの実力を認め、86年『TUTU』の制作にあたって、当時27歳のマーカスをプロデューサー、サウンド・クリエイターとして全面的に起用しました。
「『TUTU』は、マーカス・ミラーと初めて全面的に一緒になって作ったレコードだった。(中略)マーカスが『TUTU』の音楽のほとんどを書いたが、オレは、ここはアンサンブル、ここは四小節とかいうふうに要望だけを伝えていった。マーカスはオレのセンスややりたいことを十分理解していたから、あれこれたくさん指示する必要はなかった。彼がいくつかの伴奏をレコーディングしておいて、オレがその上にトランペット・ソロをオーバーダビングするという具合だった。(中略)マーカスはギター、ベース、サックス、ピアノとほとんどなんでもこなせるから、すべての楽器をやらせた。彼はさらにジェイソン(・マイルス)と一緒にシンセサイザーのプログラムもやってのけた。マーカスの集中力はものすごく、まったく恐ろしくなってしまうくらいだった。(中略)スタジオでのオレ達は最高のチームだった。(『マイルス・デイビス自叙伝』宝島社文庫・中山康樹訳)」とマイルスはマーカスを絶賛。こういう作り方だから、これはマイルスの音楽であり、またマーカスの音楽でもあったわけ。その後もマーカスはマイルスの『シエスタ』『アマンドラ』といったアルバムをプロデュースしますが、この『TUTU』こそマイルスとマーカスの関係を象徴するアルバムなんですね(ちなみにタイトルの『TUTU』は、ノーベル平和賞受賞者のデスモンド・ツツ司教のこと)。
これまでにもマーカスはマイルス・トリビュート曲を発表してきましたが、今回は(ほぼ)『TUTU』(だけ)にスポットを当てて、より自身とマイルスの関係を突き詰めたものになっています。もともと『TUTU』のほんどがマーカス自身によるサウンド・メイキングであったし、今回大きくフィーチャーされるトランぺッター、クリスチャン・スコットもかなり「マイルス風サウンド」なので、再演・再現的な部分もある一方、「21世紀的マイルス解釈」も随所で聴かせています。
メンバーのうち、クリスチャン・スコット、アレックス・ハン(サックス)、ロナルド・ブルーナー(ドラムス)は20代(キーボードのフェデリコ・ゴンザレス・ペーニャはほぼマーカス世代)。かつてのマイルスと同じように、マーカスは若手を起用したわけです。本家の演奏を作った男と、それを聴いて育った世代の共演というのもおもしろい。『TUTU』トリビュートはマーカス・トリビュートでもあるわけだから。
『TUTU Revisited』のタイトルどおり『TUTU』収録曲は全曲、さらに「アイーダ」「ヒューマン・ネイチャー」「ジャン・ピエール」など当時のマイルス愛奏曲も演奏。内容もボリュームも聴き応え十分の作品となりました(ライヴ録音でCD2枚組)。マイルス没から20年、『TUTU』から25年、マイルス・ミュージックはどう継承されてきたのか、なんて難しく考えて聴くのもよし、マーカスの強烈なグルーヴに浸るのもよし。