近年のジャズ界は女性ヴォーカリストが元気だ。当店の新譜紹介もソフィー・ミルマン、noon、エミリー・クレア・バーロウ、amin、サリナ・ジョーンズ、隼人加織、ケリー・スウィートなどなど国内外・新人ベテラン問わず女性ヴォーカルが多いものね。みなそれぞれのスタイルがあって、まさに百花繚乱の趣。
そして今月はヒラリー・コール。コールといってもナット・キング・コールとその娘ナタリーとは関係はない。スペルはColeではなく、Koleである。ニューヨークのオフ・ブロードウェイ・ミュージカルやジャズクラブで活躍し、この『魅せられし心』は待望のデビュー・アルバムとなる。
でも、すでに彼女の声を気にしていた耳の早い人もけっこういるのではないかな。というのは、実力派ヴォーカリスト、スティーヴ・タイレルが08年秋にリリースした『ソングス・オブ・シナトラ』の中の1曲「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」は、「フィーチャーリング・ヒラリー・コール」だったし、この3月に発売されたドミニク・ファリナッチ(トランペット)の『ラヴァーズ、テイルズ、アンド・ダンス』にも彼女はゲスト参加している。また、07年に他界したピアノの巨匠オスカー・ピーターソンが最後にレコーディングしたヴォーカリストが彼女であるという話も伝わってきている(現時点では未発表)ように、さまざまなところからお呼びがかかる存在になっていた。つまり実力十分、出るべくして出たデビュー・アルバムなのである。日本ではビクターエンタテインメントからのリリースとなるが、オリジナルはカナダのジャスティン・タイム・レーベル。そこはあのダイアナ・クラールを見出したレーベルだけに、聴く前から期待は大きいね。
さて音の方はというと、素直で伸びやかな歌声。大げさなフェイクやスキャットはしない。クリス・コナーら白人ヴォーカリストの王道スタイルの流れの上にあると言っていいだろう。この、いい意味での「癖の無さ」が実に心地よいんだな。アルバム全体に流れるのはスウィンギーな軽やかさ。ジョン・ピザレリが刻む4ビートのリズム・ギター(昔のスウィング・スタイルですね)がその印象をダメ押ししているんだけど、バック(ピアノ・トリオ+ギター)のセンスのいい伴奏は、古さを感じさせるところはない。ピザレリはこのアルバムのプロデューサーでもあるんだけど、ピザレリ自身もヴォーカリストで、しかも「粋でスウィンギー」が売りの人だから、ピザレリのカラーが色濃く出ているという聴き方もできるね。また、歌い手の気持ちを熟知しているわけだから、伴奏のバランスがいいのも当然か。これは大きなポイントだ。
オープニング「イッツ・ラヴ」から、「ゼアズ・ア・スモール・ホテル」「ディード・アイ・ドゥ」など、よく知られたジャズ・スタンダードが軽快に続いていくが、途中にはコールのピアノ弾き語りによる「ブラックベリー・ウィンター」や、ちょっとダークなムードが漂う「オールド・ボーイ・フレンズ」(1982年の映画『ワン・フロム・ザ・ハート』の挿入歌。トム・ウェイツ作曲)といった曲が挟み込まれているので、最後まで楽しく聴き進んで行ける。
そして最後に来るのがタイトル曲の「魅せられし心(ホーンテッド・ハート)」。ハワード・ディーツ作詞、アーサー・シュワルツ作曲のスタンダードだ。しっとりとじっくりと歌い上げているんだけど(そこまでのスインギーなタッチとまるで違うのでちょっと戸惑うところもないわけではないが)、これがぐっとくる。奇を衒うところがまったくないストレートな表現が実によいのだが、これって実力の証だな。だから「美貌」という売り文句はかえってじゃまだったかも。まあ、当店のお客さんなら、惑わされる(?)ことなく、耳で判断してくれていると思いますが(でもその言葉に嘘はないです。YouTubeで確認できます)。
余談ですが、「魅せられし心」はビル・エヴァンス(ピアノ)の『エクスプロレイションズ』での演奏がよく知られている。また、「魅せられし心」の作家コンビは、ジャズ・スタンダードとなっている「アローン・トゥゲザー」「あなたと夜と音楽と」も作っている。ついでに覚えておくといいですよ。